里山劇場:里山トラストにどう取り組むか?

この度里山住宅博を通じて、新たに里山の住人となったA子さん。
共有地の里山を見渡すと、とてつもなく広く感じられます。

ここを住人だけで管理して、みんなで収穫した果物を分け合うような素敵な里山にすることができるのか、いささかの不安を感じ始めましたが……。

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広いなぁ、やれるかな?

現地に立って見て、うわ~広い、と思いました。
里山は好きだし、子どものためにもいいと思うけど、これだけ広い里山を、現実的に管理しおおせるのか、不安を感じました。

多くの人がそう言います。管理といわれましたが、市の公園管理のようなイメージを持っていませんか。
行政の管理下の公園は、市民から文句が出ないよう落葉の掃除も、樹木の剪定も切れ目なくやられています。

ああいう味も素っ気もないやり方はゴメンだけど、かといって、これだけ大きな里山を住人で面倒見切れるかしら。

頑なに考えることはありません。肩の力を抜き、愉しみながらやることです。

そうはいっても。

動いている自然

里山は、まず管理された「止まっている自然」でなく、人と共に変わっていく「動いている自然」です。公園の木を伐ると叱られますが、柴を刈って燃料を得てきたのが里山です。

うちは薪ストーヴを置いてませんので。

ストレスが溜まっているようでしたら、丈が伸びて食べられそうにないタケノコを見つけ次第、蹴っ飛ばして歩いてOKです。竹林拡大の抑制になります。

そんなことしていいんですか。

要は、発想の根本を変えることです。草刈りは苦行のイメージがありますね。でも、草が茂ってきたからといって、草刈りをするのがいいことか。逆説的ですが、草を刈れば刈るほど草は増えるんです。

え? どういうこと?

草どうしは、それぞれ太陽の光を浴びたいため、競い合っています。伸びた草地に生えている草は、その競争にひとまず勝った草です。その草を人為的に刈り込むと地面に陽光があたり、これまで伸びることが出来なかった草が勢力を増し、蔓延ります。

雑草を刈らずに放っておくと、猛烈種類の草が幅を利かせるのね。

草刈りをマメに行うと、いろんな種類の草が生えてきます。里山は、公園でも水田でもありません。管理された公園は、前の年と同じ風景であることが求められます。水田や畑は、安定した生産向上のために草刈り作業を欠かせません。

それに対し里山は、時とともに変化していく自然ということね。じゃあ草刈りはしなくていいの?

セイタカアワダチソウ・オオアレチノギク・ヒメムカシヨモギ・ヒメジョオン・ハルジオンなどの外来種は引っこ抜きたいです。これらキク科の外来種は、目立って分かりやすいから見つけるのは簡単です。これらの外来種が幅を利かすと、地域固有の在来種が駆逐されるので。

在来種贔屓なのね?

好き嫌いでなく、そこに生きてきたものを大切にしないと、生態系が崩れてしまうから。日本のクズはアメリカでは「よじのぼり植物」と呼ばれ、最も凶暴な外来種と言われています。

イギリスで日本のイタドリが嫌われているって話を聞いたことがあるわ。

イタドリをイギリスの庭から一掃するのに15億ポンド(約2,900億円)かかると試算され大問題になっています。

外来種と在来種では草の色が違うとか?

日本の草は、草木染に見るように、概して色が薄いのに対し、外来種は概して色が濃く、それが最近の日本の草色に変じています。

あら大変。最近の若い人の色彩感覚に影響を及ぼすわね。

そうです。地域本来の色彩を取り戻すためには草刈りが必要です。

生きて動いている自然に、少なからず自分たちの行為が影響しているのが実感できるのはいいわね。

外来種はともかく、草という草を全部根絶やしにしてしまうのが公園管理のやり方で、在来種にとっては具合が悪いんだ。
里山では、名のない草も素敵なグランドカバーになると考えます。雑草という草はない。草にはみんな名前がある、と昭和天皇はいいました。

聞いていて、草刈り・草取りの意味が分かり、なんとかやれそうな気がしてきたわ。

大切なことは里山体験

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竹がやっかいです。竹は放っておくとどんどん勢力を広げちゃうから。これは竹を生活の中で利用しなくなったから、というのが大きな理由だね。

竹屋が消えたのは、竹文化が廃れたから、と言われますものね。

建築の材料からおもちゃまで、竹もさまざまに利用できるので、ぜひ活用をといいたいところですが、そうそう使いきれません。里山のイベントとしては、タケノコ狩りをやりたいですね。タケノコのうちに掘れば竹林の拡大は防げます。

掘ったタケノコをすぐに茹でると、灰汁も少なく、柔らかくておいしいわね。

カニとタケノコはすぐに茹でるに限ります(笑)。

意味が分かって草刈りすると面白くなり、身体を動かすので健康に良く、いい汗をかけそうね。

ムリしないで、吹き来るそよ風を愉しみ、陽が昇って暑かったら木陰で涼を取り、ごっくんと冷たい水を飲むことです。

在来種が増えるといいわね。他の団地の人に「株分け」したりして、何だか趣味になりそう。

里山から得られる一番は、里山体験そのものにあり、こんな鳥がやってきたとか、といったことが、ここに暮らす歓びなんだ。

あの人が来ないとか、ズルイとかいいっこなしね。目くじら立てず、まず自分が愉しいかどうかってことね。

そうそれ。そして、地域の風景に連続性を取り戻すこと。

難しいこと言うわね。

「住宅」も「里山」も連続した景観・風景にあります。子どもが大学に行って、遠くにいて家を思い出すとき、自分の家の外観より、家並みの中のわが家だったり、子どもの頃に里山体験があったら、その記憶は鮮明です。
ここの里山と三田盆地と、そうして盆地を囲む山々が、この丘から見えます。
つまり、その連続性の中で思い出されるのです。

いい話ね。この里山からスタートね。

toshiyori

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