[インタビュー] 堀部 安嗣 さんに聞く

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堀部さんが手がけられたお仕事では最小住宅では?

もっと小さい住宅もやっています。
これまでの経験から、小住宅では4間角がスタンダードになり得るよいサイズだと思っていましたので、スタートの見極めは早かったですね。
敷地を初めて見たとき、南北に抜くしかないという土地なので、大きな部分での迷いはなかったのですが、テーマとされる長期優良の性能担保と予算制約をクリアしながら、どんな家を生めるかが課題でした。

殊に、断熱については今まで、経験値を頼りに割とアバウトにやってきました。
これからの時代のニーズ、モノサシは数値だということも感じていましたので、気を入れて取り組みました。

断熱がよければ、即いい家であるかのような風潮があって騒ぎ過ぎだと思いますが、性能は、その時代の技術水準なので、基礎要件と考えればいいと思います。

この建物は総2階なので、放熱面積が少なく、温熱的には有利です。高断熱高気密にトライするチャンスだと捉えました。数値というものがどう表されるか楽しみです。
今まではQ値計算をやらなかったので、窮地(Q値)に陥った、なんてね(笑)。
けれども、何が何でも数値で表現されるものが建築だとは思えないし、そういう考えは危険です。家を留守にする時間が長いのか、外や庭とつながった生活を主体として在宅する時間が長い暮らし方なのか。それぞれの暮らし方に関わってくることなので、一概に数値だけで捉えるのはどうかと思います。

家はもっと総合的なものですからね。「住まいは開くが基本、閉じるはベース」ですね。

「建売」となる住宅を手掛けるのは初めてです。
設計は、暮らしぶりというソフトウェアの影響が大きいのですが、「建売」は架空の生活者と向き合ってシミュレーションしなければなりません。未確定要素があることをポジティブに捉えて、故に、ちゃんと数値でも表したいという開き直りが生まれました。

実際の住まい手とのやりとりがあれば、そこまで断熱にこだわらなかったと思います。住まい手の意向を優先しますから、断熱はこの位でいいよと言われれば、そこまでにする。
そういう意味では今回は逃げがきかない。誰にでも販売できる「お墨付き」がある住宅をアピールするためには、別のモノサシがあることを知りました。

どこに隙間が生まれるのか、自分でも気づいていない部位の発見もできた。総2階という単純な形の建物でもそんなわけだから、複雑な形では、もっと留意しなければなりませんね。

断熱木製サッシメーカーとのお付き合いが生まれたのも良かったです。「断熱木製サッシ入ってまっせ!」というアピールではなく、さりげない形でサッシの存在を消すためにディテールでクリアしました。施工を担当いただいた工務店には、お世話を掛けました。

大工が、工事が進んでカタチになるのを見て、図面で描かれていたことがこういうことだったのか、と得心が行ったと・・・。

とてもフェアな付き合いができてよかったです。

建物の輪郭が姿を見せ、内部が仕上がるにつれ、“堀部節”が聴こえてきました。

自分の個性やスタイルを持ち込まないで、屋根の形も含めて、建物の輪郭は、なんてことないものをつくろうと・・・。庭と緑が充実していれば、建物の外みは気にならない。むしろ、室内のプロポーションや窓の位置、ディテール、プランニングなどの目立たない、分かりにくいところで一番自分らしさ、自分の個性が出るように、と考えました。輪郭、外観はクールに、個性が現れるのはプロポーションと動線です。

特に重きをおいたのは家事動線でした。サーバントスペースは、建物の1/3を占めています。家の規模の割に大きいでしょ。住まいは、家を支える人がいかに快適に過ごせるかが大事。

しかし、細かくやるとディテールが増えてしまう。ディテールの数をどれだけ少なくできるか、そこに神経を注ぎました。プリミティブに、シンプルにやって行くと、結果、そこに個性が表れるのだと思います。内部はしっかり繊細に、丁寧につくらないといけないけど、スケールとプランの心地いい関係を尽きせぬおもしろさが持っていることを、この小住宅の設計を通じて、改めて感じました。

竹林寺納骨堂

建築学会賞受賞作「竹林寺納骨堂」

この家は、外への意識がつよいとも感じました。

こういう土地ですからね。窓から広がる遠景ということもありますが、庭との出入り・小さな菜園があって、人を招いたり、フラッと土間に入ってくる人がいたり、近所とのお付き合い、営みを思い浮かべながら設計しました。四十代、子ども一、二人。六十過ぎの初老の夫婦、ということもありうるかな、と。

今回はいい材料というのはほとんど使っていません。
そこも見て欲しい。プロポーション、動線、素材より経済性。ゼイタクではない材料ですべてやりたかった。
けれども、媚びてはいけない。媚びてつくると「ここがポイント」という風に、建築の全体像にバイアスがかかってしまいます。家中の細胞が生きている、淀んだところがなく、一つ屋根の下にまとまって暮らしているという一体感を感じて貰えれば十分です。

この仕事を開始するとき、ヴァイオリンの話を言われましたね。

作り方は数百年変わっていないけど、その音色は、奏者の腕によって異なります。接着に膠を用いますので、蒸気を当てると剥離します。分解修理や部品を交換できるので、何百年と現役で使える名器があったりします。生き続けているいい家と、共通するものがあると思います。

普通の家に見えて、普通の家でない家!

最近の住宅は、既視感があると、仕事を公表するステージにも上がれません。
建築教育で出される学生の課題は、「見たこともないものをやれ」ということになっていて、「普通」にやることが疎んじられています。

インタビューの様子

日本の建築教育に疑問を感じるという堀部さん。

レーモンドは、「すべてを取り去ったとき、残る本質と原理が日本の家の魅力」だと言っていて、「普通の家」への目覚めが、今求められています。

個人の設計事務所は閉じた世界に入り込みがちですが、工務店は、住まい手の暮らしに近い分、現実的、実体的にやれる筈です。
建築家はそのうち、地方のシャッター通り商店街のようになってしまうんじゃないか、という危機感を、ぼくはもう十年以上前から感じています。

「普通」に一回戻った方がいいと思う。
机上の空論ばかりの生徒が学内で評価されますが、そんな学生は社会に出たところで何の役にも立ちません。
この点、設計の志が高い工務店は勉強熱心です。個人の建築家とは違う勉強の仕方をしている。

工務店を褒めていただけると嬉しく思いますが、本来、工務店は繰り返すことによる修練が可能なのに、多くの工務店はそれを活かしきれていません。

ご飯を食べながらいつも思うのは、熱帯アジアからやってきた米が、数千年を経て、艶やかにおいしい米に変わるまでの技術の集積です。

野菜の適地生産は、知恵ある農家によって、ここ数十年来進んでいますね。

工務店が頻繁に使うものに磨きを掛けて行けば、メーカーも相談に乗ってくれますから、工務店発の広がりに期待したいですね。
ここでやったディテールがここだけで終わらず、施工や見学した工務店が「こういう納め方があるんだ」と気づき、発展させて行くことです。
大枠で言うと、建築家は施主が住んだ後に感知する人が少ない傾向があります。けれども工務店は、ちょっと具合が悪くなったら呼び出されて面倒を見続けないといけない。改善点の情報や知恵を建築家より持っています。現場では話されているだろうけど、表に出てこない話を拾って行けば、工務店は建築家にやれない世界を生めます。

ハウスメーカーが押し出す流行に惑わされないで、素敵な既視感を持つ「普通の家」を生むことですね。

聞き手 / 小池 一三(里山住宅博プロデューサー)

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