百年集落をつくる

上津台・街区断面図(スケッチ/田瀬理夫)
上津台・街区断面図(スケッチ/田瀬理夫)

百年生き続ける集落街区を生む前提となるのは、〈緑化〉をはじめとする、〈まち〉づくり計画のクオリティの高さです。私たちは各戸バラバラに計画するのではなく、統一感を持った街区を生むため、ランドスケープの専門家である田瀬理夫氏に計画を依頼しました。

下は、街区で守る外構コードの一部です。
・駐車場は混植生垣で限りなく3面を囲まれるように務める。
・建築にまつわる給排水管(地下埋設物)は軒下のルートを原則とする。
・建築基礎工事、駐車場、舗装工事などで発生する残土は敷地内で処理する事を原則とする。

断面図

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この絵は、田瀬理夫さんによる宅地の計画図です。緑の外構計画が、家と家の緩衝地帯になり、付かず離れずの独得の距離感を生んでいます。閉ざす外構でなく、開きつつ距離を保ち、お隣とは垣根越しのおしゃべりがはじまり、緑を介して行き来もはじまります。子どもにとっては、もっと距離感が縮まり、緑を縫って走り回ることでしょう。
今回の計画敷地の平均面積は57.54坪、上津台団地の中で見ても、決して広いわけではありません。逆に、広くないからこそ、こんな街区計画が求められる、というのが田瀬さんの考えなのです。

“里山”は、手入れを前提とする森であり、光が地面にとどく森でした。村人によって、里山の下草や落葉は堆肥に用いられ、樹木は定期的に伐採されて、薪や炭にされました。しかし1960年以降、化石燃料が用いられ、堆肥は化学肥料に駆逐され、里山の経済価値は失われました。それに拍車を掛けたのは、1960年代以降の急速な団地造成でした。里山を壊すことに依る、新たな”経済価値”の誕生です。それ以降、人が手を入れなくなった里山は荒廃し続けて今に至ります。

荒廃した里山の回復はどうしたら可能なのでしょうか。それは、里山近くに住む住人が、生活と健康の森として再生することです。コンクリート・ジャングルの都市では得られない郊外ライフが、里山の復権を促します。

街区北側に沿った「里山散歩道」を、イーズメントと名づけました。そこから里山に下る置階段を、何カ所か設けます。コンクリートで固めた階段ではなく籠状のものです。手すりには、もともと生えていた竹を使います。
里山には、果樹五木を植えて、季節毎の収穫を楽しみます。


田瀬理夫
緑のディレクター
田瀬 理夫 たせ みちお
プランタゴ代表。造園家。1949年東京都生まれ。73年千葉大学園芸学部造園学科(都市計画・造園史専攻)卒業。‘73〜’77年(株)富士植木勤務。‘77年ワークショップ・プランタゴを開設。’78〜‘86年SUM建築研究所の一連の集合住宅プロジェクトに参加。’90年〜(株)プランタゴ代表,’08より農業生産法人(株)ノース代表を兼務。東京芸術大学非常勤講師。
【主な仕事】コートハウス国立、アクロス福岡、アクアマリンふくしま、BIOSの丘、地球のたまご、日産先進技術開発センター、5x緑、味の素スタジアム西競技場、現代町家など住宅外構、クイーンズ・メドウ・カントリーハウス馬付住宅(馬100頭)プロジェクトなど
【主な受賞歴】日本造園学会賞[らんの里堂ヶ島](‘95)/エコビルド大賞[アクロス福岡](’02)/環境情報センター賞[都市のエコロジー復活を目指す環境建築](‘02)/SB05 サスティナブル建築賞[地球のたまご](’05)/日経BP技術賞、グッドデザイン賞など

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