この住宅博に、二人の建築家を招待しました。
松澤穣さんと堀部安嗣さんです。共に、今をときめく建築家ですが、贅を尽くした豪華な家を設計してもらいたくて招待したのではありません。その逆です。
志賀直哉に「家作に就いて」という一文があります。「昔の農家や民家で今でも感心するのは、やはり長い経験で、ほんとうに必要なものが何か美しい形で遺ってゐるので感心させられるのだと思ふ」と言っていますが、最近、そういう家作がとんと見られなくなりました。
お二人に対するわたしの注文は、「華美ではないけど、野暮でない家」というものでした。言い換えると、普通の建築費で、質実な美しさを持ち、生活の用に応えてくれる、志賀直哉が言ったような家です。
お二人とも、「むずかしいテーマだね」と言いました。「そうです、最もむずかしいテーマです」とお伝えしました。土地は狭く、建築面積は自ずと限られ、材料も特別な素材を用いることはできません。耐震性や省エネ性などは、時代の要求性能なので、しっかり保たなければなりません。
お二人を困らせるつもりで依頼したわけでなく、町場の工務店が取り組んでいるフィールドと変わりない条件で、建築家としての職能を十全に発揮してほしいと思ったのでした。
わたしは、強・用・美を統合した、新時代の家と呼び得る建物に見事仕上げられたと思っておりますが、さて、みなさんは如何でしょうか。
文:小池 一三
(里山住宅博プロデューサー/町の工務店ネット代表)
松澤さんは、生まれも育ちも都会の人だけど、農夫の面差しの人です。イギリスの独立自営農民(ヨーマン)のような。ヨーマンは、人身的拘束から解放された自由人でした。マニュファクチュア以前の農夫は、全人的な存在で、一人で鍛冶屋、大工、石屋などを兼ねていました。松澤さんも自由人で、全人的です。その手から生み出されるものは、創意工夫に満ち、明確に“松澤”があります。
通り土間のある鹿沼の家に、スイカやビールを冷やせる、大谷石を穿ってつくられた水舟があります。これを見ると、生活に必要なものは、何でも手から生み出す人だと思います。
鹿沼の家の囲炉裏端に坐っている松澤さんを見たら、だれも都会の人だと思わないでしょう。
[建築家]
松澤 穣(まつざわ みのる)
松澤穣建築設計事務所代表。1963年東京生まれ。1986年東京藝術大学美術学部建築科卒業。1987年オーストリア国費留学。1990年東京藝術大学美術研究科建築設計修了~94年東京藝術大学益子研究室助手。2013年多摩美術大学環境デザイン学科教授。安宅賞、匠美賞、PROLEGOMENA賞(ウィーン工科大学)、OM地域建築賞、マロニエ建築景観賞(栃木県)。
堀部さんには、まるで古武士を思わせる一途さがあります。
「私は住宅を公共建築だと思っています。言い換えれば公共的でない建築など存在しないと思っています。どんな小さな家でもかけがえのない日本の風景の一部になるわけですから」(社会経済学者松原隆一郎との共著『書庫を建てる』より)。
鶴田浩二の歌にあるように、現実は「何から何まで真っ暗闇で」あってその言説は「彼方への想い」というほど儚いものです。口に出しても仕方がない大事を堀部さんは口にします。一方でその家作は、土を捏ねる陶芸家のように、手錬の限りを尽くし、身近なものへの眼差しは、建築の隅々に及んでいます。
そんなことを、今度のお仕事を通じて、おさらいするように、改めて感じたのでした。
[建築家]
堀部 安嗣(ほりべ やすし)
堀部安嗣建築設計事務所代表。1967年、神奈川県生まれ。1990年、筑波大学芸術専門学群環境デザインコースを卒業。益子アトリエにて建築家・益子義弘に師事。1994年堀部安嗣建築設計事務所を設立。「牛久のギャラリー」で第18回吉岡賞を、「竹林寺納骨堂」で2016年建築学会賞受賞。京都造形芸術大学大学院教授。著書に『堀部安嗣の建築』TOTO出版、『Architecture 堀部安嗣作品集』平凡社など。